2012-04-24
という事を、私の体験を通じて伝えてみようと思います。
これは、私だけの事ではなく、きっと皆さんにも思い当たる事が有るはずです。
気付いているか、気付かないでいるか・・・。それだけの違いなのです。
何でも親任せで生きてきた私でしたが、18歳の時、初めて自分の意思でマツザカヤドレスメーカー女学院に入学しました。
それからの私は、今まで経験した事が無い程に充実した日々を送っていました。
そして作品を創作する中で、私の意思を超えたところで私の手が自在に動いて、最高の作品が出来上がってゆくのを体験し、私は"創造主たる神"の存在に気付き、生かされている事を知りました。
それからの毎日は、創造主の創る物に近付く為に、自分を叱咤激励しながら眠る暇も惜しんで切磋琢磨に励みました。
そんな日々の中で、益々私の感覚器官は研ぎ澄まされていき、何を見てもその背景にあるものを観じられ、良い人や良い物に出会う機会にも恵まれ、とても実りある日々を送ることができました。
母を亡くして"千島学説"に出会い、人の死から"生前の生き方"と"臨終の時の心の置き方"の大切さも学びました。
その後、両親を天に召した神の意図が、私を自立させる為の試練だった事に気付き、全て親任せで世間での学びができていなかった自分自身のあり方、その愚かさを心から悔やんで詫びました。
そして、二人の命を無駄にせず活かしていける様に、学びを昇華させ世に報いていきたいと願いました。
それから石と出会い、私の人生は180度転換していく事になります。
石に宿る、見えない神との対話の毎日が始まったのです。
新しい店を出す時には、いつも不意に私が石に、
「良い所に行こうね。」
と語りかけると、必ず良い店舗物件のお話が舞い込んで来ました。
また、私が適正だと判断して販売している石たちが他店と比べて安価であったため、心ない人たちから"質流れ品"と云われた事がありました。
石たちは個々にプライドを持っていますから、本当に失礼な話です。
何処か、もっと石たちにとって最適な場所はないものかと思い、
「質流れ品と云われない所に行こうね。」
と石たちに話していると、ホテルプラザからのお誘いがあり、入店した事もありました。
ナビオ阪急から出店のお誘いが来た時も、石たちに、
「あなた達がもっとたくさんの人たちに見てもらえるような、広い場所が有ればいいのにね。」
と語りかけていた時でしたので、とてもスムーズに入店する事ができたのです。
二つの店が、ほぼ同じ時期に閉館になった時は、スタッフ達との間に起こった諸々の問題から解放されたい、という思いも有り、廃業を考えていました。
すると神から、
「学べ」
と言われたので、書店に行って目に留まる本を読破する事に励み、淀川の河岸で瞑想にふける毎日を過ごしました。
ヒルトンホテルに入店を決意したのは、ある朝目覚めた時に、
「ヒルトン」
と聞こえたからです。
2000年6月15日に開店、電話番号は"06-6344-6811"でした。その翌年、2001年の大河ドラマ「宮本武蔵」がスタートしましたが、その時に奇妙な一致に気が付きました。お店の電話番号の語呂が"ムサシ ムハイ"と読めた事で、そこに事の必然と神の意図を感じ取りました。
その後ヒルトン時代に、私の人生は最悪の事態に陥り、命までも狙われる事となりました。
しかし、神は8年間ヒルトンから去る事を許してはくれませんでした。
そして神から、
「神戸を踏め」
と言われ、やっとヒルトンを出ることになった時、これは負けて出るのではないと云う神の愛を受けました。
神戸に居を移し、2008年10月に「いきる ~人・石・衣~」を出版し、2009年2月6日の初午に、兵庫県の千ヶ峰に登り、
「身の修行 真実の行動の道に入って清めの行をし 宝石の意味合いを世の中に広めて行く身」
との神示を受け、神戸北野町の氏神様である北野天満宮で禊の修行を開始しました。
2010年3月、テンがトキを9羽殺したニュースをテレビで見て、
「天に時が満ちた」
との神の知らせだと受け取り、すぐに熊野に向かいました。
そして、神の言霊を受けて私の使命を知り、神の道を進む決心をしたのです。
神戸に移った私は、神戸の和田宮(和田神社)との御縁や、この地に所縁のある「平清盛」の大河ドラマが始まった事などから、改めて今の神の導きを感じています。
また、最近では私用で中国の大連へ行く用事ができた時に、知人が戦後のハルピンから引き揚げて来た時の壮絶な体験を聞かせてくれたり、NHKのドキュメンタリー・ドラマ「開拓者たち」を見せられたりと、様々なシンクロする証を見せて頂き、中国へ行くことになった真の意味が明確になっていきました。
「中国で亡くなった人々の思いを浄化し、天に上げる」
これが、神の思いでした。
当初、大陸に残った引き揚げ者のご家族の魂の事だと思っていましたが、「開拓者たち」を見せられる中で、戦争の犠牲となって、人知れず祖国の地を踏むことなく亡くなっていった無数の同胞たちの魂の事だと知りました。
私たちの、今の満ち足りた平和な生活の陰には、無数の先人たちの犠牲があった事を、私たちは決して忘れてはなりません。
この様にして神は、いつも私達の身近におられる事を示してくださっているのです。
私個人の自分の事でさえ、公の世界と繋がっている事を思うと、神は誰の傍らにもおられて何時も見守って下さっている事に気が付きます。
人は決して一人では無く、この世に存在する全ての物と繋がっているのです。
それぞれが、生かされている事に感謝を忘れず、惟神に活きるのみです。
所詮この世は一里塚、まだまだ旅の途中です。共に明るく楽しく手を取り合って、活きた証を刻んで進んでいきましょう。